藤澤発祥の地「大鋸」

 この地大鋸町は大昔森林が発達していたところで、水湿地を好む藤が繁茂し、境川、
滝川などの沢があったため、いつよりか藤沢と呼ばれるようになった。
鎌倉に幕府が開けれると神社、仏閣などの建立が盛んになり、木材の
需要が増えたため、
その伐採、加工に従事する人たちがこのあたりに多くすむようになり、ここから、現在より
水量の豊かだった境川を利用して搬出された。
町内には源頼朝勧進の三島明神や、実朝開基の三島山感応院があること、さらに隣の
船久保町には海上鎮護の弟
橘姫命を祀る船玉神社という古社があることは、このことと
無関係ではないと推定される。
鎌倉時代末期に藤澤山清浄光院(遊行寺)が建立されてからは次第に門前町を形成、
室町時代には森氏を棟梁と
する大鋸引職人衆、遊行寺の仕事にたずさわる半僧半俗の人々
(客両)のすむ町となり、東海道が整備された江戸
時代には朱印地として西村(西富)が分かれ、
ここ大鋸町は宿場町、門前町としてにぎわったところである。